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正論ばかり言う人って・・大丈夫??・・いや、ダメです。

「売り出し方をつくる」

心の解説者の平山です。

 

誰かへの愚痴ではないのですが・・この人、めんどくさい人だなぁ~と思ったり
なんで、こんなに自分のことを理解していないのだろうと考えさせられたり、する事がたまにあります。

世間的に嘘つきであったり・気遣いの弱い人が避けられることが多くあるのを見る事がありますが、
そんなレベルを超えて、存在するのが

 「正論だけを語る人」

正論ばかりを語る正論者が、間違っているとも思いません。(別に否定する気もないです)
正論者が強くも、弱くもないと思っています。

僕も、講習やBlogで話したり、書いたりする中で、「賛否両論」を常に受けています。
それでいいと思います。
話す内容に対して「凄ーい」という声も、「同じ事考えていた」の声も、
「気づかされた」の声も、中には「オレの方が知ってるし」といった声も、どれも嬉しいですし、
出来る限り、僕の講習は様々な方へ、偏りをつくらずに参考になれればと、追求しています。

なので・・賛否両論が大切で、

賛否両論をベースに大切だと考える中、正論者の考えは、とてもダメに感じてしまいます。
「自分が正しく間違っていない」という方向は重要なのですが・・

ささいな意見や、ちょっとしたコミュニケーションの場で、正論を熱く語られてしますと、とても引きます。

キレイごとって、理想と思います。理想が大切と、僕も思います。でも、理想が一番困難である事も事実にあります。
正論って、一見熱く、そしてカッコ良くもあるのですが・・正論だけを突き通すのは、危険であり・・
正論だけを突き通すのは、人から煙たがられる傾向さえあります。

 「嫌われたってかまわない」オレが正論だから!

違った意味での「嫌われる勇気」をアドラーのように持たれていても、
少しもったいなく感じるし、むしろ「持論」のほうがいい。

「1億人に1人はいるから・・」とか「0.001%でも可能性はある」とか、500年後にはそうなってる」とか、
それって・・どうなんでしょう?

理想もロマンも、否定しないけど、なんで「持論」で「自分の哲学」でリスクを負わないのか
そこに理解が苦しむんです。正論者って、本当はもっと頑張りたいのに頑張れない人だったり、
やればやるほど理想が遠のいている気がする人だったり、
誰かのせいだったり、環境のせいにしてしまう人だったり、

自分に自由を求める人や、何もかもに疑問を抱く人なんだと思う。

良いか?悪いか?

正論か?曲論か?

適当でもなく、正解なんて、それこそ分からないんじゃないかな・・・

正解が分からないから、夢があるし、正解がわからないから、理想が輝くと思います

そして、それ以上に、相手の言葉を否定するよりも、
どこかに賛成できる部分がないか、受け止めてみるとより、お互いの関係が円滑になると思います。 

もし自分が100%正しくても、相手がプライドを突き通したい時には、

脇道くらい譲れる余裕が、賢いと思います。

場もつくれるものです。

環境もつくれるものです。

心理学的に、フロイトは「人間の本能はコントロール出来ない」と言い、
アドラーは「人間には決断の自由がある」言っています。

どちらも間違っていないし、結局、決めているのも、動いているのも、自分なんだなぁ~

そう思いました。

正論で相手を押すより、持論で恥かいて、教えてもらえる方が、
教えてくれた人から、人生の時間を分けてもらえるチャンスと思います。

いつも、心の解説®︎平山コウスケのBlogをご覧頂きありがとうございます。
心の解説や作品をもっと楽しく、皆さんに面白いと評価されるように成長したいです。

 

頑張る皆々様を応援しております。
心の解説者®︎・構成ライター 平山 コウスケ



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